209系900~920番台
1992年3月から1992年4月にかけて、民営化後初めての通勤型試作車として、901系A/B/C編成(後の209系900~920番台)が登場しました。
国鉄最終期の、ランニングコストを抑える思想を忠実に具体化した901系は、細部が異なる3本を新造することで様々な部分を比較し、209系以降の車両群のベースとなりました。
このように、試作編成を30両も作って、実験、研究を行う事は非常に稀で、JR東日本が901系にかけた期待の大きさは計り知れません。また、この901系を間接的に置き換えたE231系も、ドア窓などに901系の面影が残る形式でした。いかに901系が先見的な構造だったかが良く分かります。
国鉄最終期の、ランニングコストを抑える思想を忠実に具体化した901系は、細部が異なる3本を新造することで様々な部分を比較し、209系以降の車両群のベースとなりました。
このように、試作編成を30両も作って、実験、研究を行う事は非常に稀で、JR東日本が901系にかけた期待の大きさは計り知れません。また、この901系を間接的に置き換えたE231系も、ドア窓などに901系の面影が残る形式でした。いかに901系が先見的な構造だったかが良く分かります。
試作車の置き換え計画
209系以降の系列は、制御系の電子部品の寿命が13年ほどとされており、900~920番台も例外ではありません。試作車ゆえの構造の違いや、取り扱いの違いもあり、2006年度中の廃車が噂されました。
当時、209系量産車は、全車両が機器更新を施工し、もう13年の活躍が見込まれていたため、量産車に比べてかなり早い廃車となる見込みでした。また、新しい訓練車は、この試作車を使う事を軸にして計画が進んでいたようです。中央線に次ぐE233系の投入も、埼京線方面への投入を計画していたとの噂です。
最終的には、2006年下半期に中央総武緩行線にE231系新造車3本を投入、それにより、209系500番台3本が2006年度末までに京浜東北線に転属し、試作車を廃車に追いやる事になりました。
当時、209系量産車は、全車両が機器更新を施工し、もう13年の活躍が見込まれていたため、量産車に比べてかなり早い廃車となる見込みでした。また、新しい訓練車は、この試作車を使う事を軸にして計画が進んでいたようです。中央線に次ぐE233系の投入も、埼京線方面への投入を計画していたとの噂です。
最終的には、2006年下半期に中央総武緩行線にE231系新造車3本を投入、それにより、209系500番台3本が2006年度末までに京浜東北線に転属し、試作車を廃車に追いやる事になりました。
中央総武緩行線へのE231系投入
東急車輛製造で、10連3本が新造されました。
←千葉 三鷹車両センター所属中央総武緩行線用E231系0番台 三鷹→ | ||||||||||||
1号車 | 2号車 | 3号車 | 4号車 | 5号車 | 6号車 | 7号車 | 8号車 | 9号車 | 10号車 | |||
> | 6ドア車 | > | ||||||||||
編成 | クハE231 | サハE231 | モハE231 | モハE230 | サハE230 | サハE231 | サハE231 | モハE231 | モハE230 | クハE230 | 製造 | 年月日*E |
B80 | 80 | 217 | 140 | 140 | 44 | 218 | 219 | 141 | 141 | 80 | 東急 | 06/10/19 |
B81 | 81 | 220 | 142 | 142 | 45 | 221 | 222 | 143 | 143 | 81 | 東急 | 06/11/07 |
B82 | 82 | 223 | 144 | 144 | 46 | 224 | 225 | 145 | 145 | 82 | 東急 | 06/11/22 |
209系500番台の京浜東北線転属
量産車の車体保全工事用の予備車として、まずミツ515編成が2005年10月から2006年3月にかけて浦和電車区に貸し出されました。改造は東京総合車両センターで行われ、D-ATCなどの取り付けが行われました。2005年の東京総合車両センター一般公開のとき、ミツ515編成の貸出目的、改造内容などが公表されています。
2005年度末の返却の際は、その後の試作車置き換え計画を見据えて、D-ATCなどを撤去せずに返却される事になりました。
2006年10月以降、このミツ515編成を含めた3編成が、正式に浦和電車区に転属、試作車を置き換えました。転属時点で、すでに京葉電車区への転属計画があったため、改造箇所が最小限に留められています。
2005年度末の返却の際は、その後の試作車置き換え計画を見据えて、D-ATCなどを撤去せずに返却される事になりました。
2006年10月以降、このミツ515編成を含めた3編成が、正式に浦和電車区に転属、試作車を置き換えました。転属時点で、すでに京葉電車区への転属計画があったため、改造箇所が最小限に留められています。
←大宮 浦和電車区所属京浜東北線用209系500番台 大船→ | ||||||||||||
10号車 | 9号車 | 8号車 | 7号車 | 6号車 | 5号車 | 4号車 | 3号車 | 2号車 | 1号車 | |||
< | < | |||||||||||
編成 | クハ209 | サハ209 | モハ209 | モハ208 | サハ209 | サハ209 | サハ209 | モハ209 | モハ208 | クハ208 | 製造 | 年月日*E |
82 | 513 | 549 | 525 | 525 | 550 | 551 | 552 | 526 | 526 | 513 | 新津 | 00/01/27 |
83 | 514 | 553 | 527 | 527 | 554 | 555 | 556 | 528 | 528 | 514 | 新津 | 00/02/10 |
84 | 515 | 557 | 529 | 529 | 558 | 559 | 560 | 530 | 530 | 515 | 新津 | 00/02/28 |
試作車の廃車
2006年度末までにウラ91、92編成が離脱しました。ウラ90編成はしばらく予備として残っていましたが、2007年8月28日に東京総合車両センターに入場、サハ209-901を抜き取り、8月30日に東大宮に疎開しました。
←大船 浦和電車区所属京浜東北線用209系0番台 大宮→ | |||||||||||||
10号車 | 9号車 | 8号車 | 7号車 | 6号車 | 5号車 | 4号車 | 3号車 | 2号車 | 1号車 | ||||
◇ | ◇ | 最終 確認日 |
東大宮 疎開 |
北長野 配給 |
|||||||||
編成 | クハ209 | サハ209 | モハ208 | モハ209 | サハ209 | サハ209 | サハ209 | モハ208 | モハ209 | クハ208 | |||
ウラ90 △置換 ウラ82 |
901 | 901 | 901 | 901 | 902 | 903 | 904 | 902 | 902 | 901 | 07/08/20 (---) |
07/08/30 | 08/01/11 配給 |
保管 | 試験 | 解体 | |||||||||||
ウラ91 △置換 ウラ84 |
911 | 911 | 911 | 911 | 912 | 913 | 914 | 912 | 912 | 911 | 06/12/19 (31A) |
06/12/26 | 07/01/24 配給 |
解体 | |||||||||||||
ウラ92 △置換 ウラ83 |
921 | 921 | 921 | 921 | 922 | 923 | 924 | 922 | 922 | 921 | 07/03/03 (10A) |
07/03/07 | 07/12/21 配給 |
解体 |
サハ209-901の活躍
鎌倉のモハ113-1085。
209系の姿はありませんでした。
東京総合車両センターで抜き取られたサハ209-901は、他形式の廃車2両(モハ113-1085、サハ201-55)と共に、2007年10月05日に川崎埠頭に輸送、その後、旧鎌倉総合車両センターに搬入され、2008年2月から強度試験、転覆試験などに使われています。209系の姿はありませんでした。
私が2008年3月中旬に行ったときには、113系だけが隅のほうに寂しく留置されていました。
2009年3月にサハ209-901は解体されました。
クハ209-901の保存
2008年1月にウラ90編成(9両編成)が長野総合車両センターに到着した後も、クハ209-901のみが解体を免れ、長野総合車両センター構内で保管されていました。
2010年3月20日、長野総合車両センター構内の解体場所でトレーラーに乗せられ、21日未明に東京総合車両センターへ搬入されました。26日には東京総合車両センター正門前の、クモハ101-902が展示されていたスペースに置かれているのが確認されました。
その後、JR東日本の通勤型車両の礎として同所で保存されています。
2010年3月20日、長野総合車両センター構内の解体場所でトレーラーに乗せられ、21日未明に東京総合車両センターへ搬入されました。26日には東京総合車両センター正門前の、クモハ101-902が展示されていたスペースに置かれているのが確認されました。
その後、JR東日本の通勤型車両の礎として同所で保存されています。